こんにちは!!
枝です!!
今日も理容・美容について学んで
楽しい理容師・美容師人生を送りましょう!!
↓今回のテーマはこれ!!
『埼玉県理容美容専門学校はどんな学校??』
です。
今回は、理容美容専門学校についての内容になります!埼玉県の中で理容美容専門学校は存在しますが、その中でも理容師免許を取得できる学校の数は限られてきます!埼玉県近郊で理容師免許を取得する予定であれば、専門学校の選択肢に入るのが埼玉県理容美容専門学校になると思います。卒業して18年経ちますが、今だからこを感じる専門学校への想いと当時の思い出を綴っていきたいと思います。是非、理容師・美容師を目指す方は参考にして頂ければと思います!!
目次
・理容科の当時の授業について
・理容科の先生との関係性
・学校での想い出
・卒業してみて想うこと
埼玉県理容美容専門学校はどんな学校??
理容科の当時の授業について
すみません、18年前の授業についてしか書けません。。。が、書かせて下さい。あくまで当時の授業についてです。当時の授業を一言で表すと、めちゃくちゃ面白かったです。個人的に面白かった内容は『デッサン』『体育』『実習』の授業でした。『デッサン』は外部の巨匠と呼ばれる先生が実際にデッサンの方法や考え方についてレクチャーをしてくれました。デッサンを通じて髪型について理解を深める事も出来ました。『体育』については、そもそも入学をしてから授業の存在を知りました。理容の専門学校にも体育の授業がある事に驚きでした。理容師の学生等が全力でサッカーをやる姿はなかなか見れない光景です。体育の授業をやるメリットはコミュニケーションだと思いました。学生同士で、仲良くなるには体育の授業をやるのが一番です。生徒同士のコミュニケーションが取れると学校生活も充実し、何より就職をしてからも活かされるポイントになります。自分のサロンでも定期的に身体を動かすレクを導入するキッカケとなりました。『実習』これは基本的に毎日ある授業でした。理容師は技術職です。技術で勝負をする業界なので、ひたすら実技の授業がありました。それが面白い!毎日ある授業が面白いというのは学校の価値だと思います。その理由↓↓
埼玉県理容美容専門学校はどんな学校??
理容科の先生との関係性
なぜ、専門学校の実技の授業が面白かったか??の理由は間違いなく先生との関係性にあります。先生との人間的な距離が近かったのが大きな理由だと感じています。実技の授業では毎回道具の準備等で大変な事も多かったですが、何よりも授業中に必ず笑いがありました。ふざけている訳ではなくて、みんなが真剣に頑張っているからこそ楽しい雰囲気がありました。そして、先生が先生としてというよりも生徒一人一人の事を理解してくれていて人としての対応をしてくれていました。もちろん、怒られる事も沢山ありましたが今となって考えれば当然の事です。人としてまだまだ未熟な生徒でしたが、温かく成長を見守ってくれていました。それは先生と生徒としての関係性ではなくて、人として距離を縮めて接してくれていたおかげだからだと思います。
埼玉県理容美容専門学校はどんな学校??
学校での想い出
毎日の学校生活が楽しかったのを覚えています。『今日学校行くのがめんどくさいなー』という感覚が無かった事がその証拠だと思います。毎日の授業も楽しかったのですが、学校生活でのイベントで特に印象的な事が『文化祭』と『修学旅行』です。文化祭の一体感は本当に楽しかったです。文化祭の中でも、ヘアショーが特にクラスがまとまるイベントでした。
当時の理容科は、どうしてもヘアショーで美容科に勝てない時代でした。打倒美容科という意識が強かったのですが、勝てませんでした・・・。ヘアショーチームで泣きながらホームルームをやったのを覚えています。それくらい熱い戦いがヘアショーです!!理美容の専門学校の醍醐味だと言えます!もう一つが『修学旅行』でした。修学旅行はイギリス→フランスへの旅行でした。今の時代だと、コロナの影響やウクライナの問題もあり海外旅行は難しいかもしれません。当時は今思うと贅沢な旅行でした。修学旅行も楽しかったのですが何よりもその時の先生がとても印象的でした↓↓
埼玉県理容美容専門学校はどんな学校??
卒業してみて想うこと
一時期、専門学校の先生を目指そうと考えた時もありました。そのきっかけになる出来事が修学旅行でした。修学旅行でフランスへ行った時に僕の班が集合場所に間に合わなかった時がありました。夜も遅い時間で、当時はスマホも無い時代だったので連絡も出来ずに遅刻をしてしまいました。先生はホテルで待つしかない状態。自分たちは連絡も出来ずに、とにかく急ぐしか無い状況。タクシーの運転手さんとトラブルになっていたのを覚えています。どうにかホテルへ到着した時には、1時間近く遅れている状態で、当時の担任の先生にブチギレられる覚悟でいました。恐る恐る先生の表情を伺うと、先生が涙目でホテルのロビーで待っていました。体育祭のリレーで優勝した時も本気で喜んでくれました。海外で行方不明になった時も本気で心配をしてくれていました。そんな先生がいる学校で働きたいと思った事は何度もありました。その時の先生は引退をされていますが、18年経つ今でも一年生の時の担任の先生が『枝くん!!』と呼んでくれています。18年経つ今でも、僕のサロンのスタッフの面倒を見てくれています。未だに心配をしてくれます。今は亡き理容科の学年主任の先生は、学校の外でたまたま会った時に食事代を何も言わずに払ってくれていました。そんな先生が集まる学校が埼玉県理容美容専門学校です。校舎は建て替えで、当時とは別のものになってしまいましたが、当時の学校としてのDNAは変わらないはずです。
いつか、僕も人としての授業で教壇に立たせていただきたいなと密かに思っています。
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